【塾の毎日/経験や体験をテーマにちょっと語ります。】
経験や体験というのは大切。特に子どもの頃の経験や体験はその後の人格形成にも大きな影響を及ぼすと私自身、自分という人間を振り返ると本当にそうだよなと思う。どうして僕だけ、どうしてこんな目に、どうして生まれてきたことを恨まれるのか。そう感じることが人より多かったかもしれない。幸い、私はせっかく頂いた命、自分自身で生まれてきてよかったと言える人生にしたい、そう考えるきっかけに出会い、選べない生まれた環境にどうこう言っても仕方がない、これから自分が作る道で人生を前向きに変えていこうと考えることができた。
その中でこんな大人が自分の力にしたら・・・と考える機会も多かったので、まずは自分自身がそういう大人になろう。そういう大人になるために、今の自分に足りないことってなんだろう、今まずできることはなんだろう、できることを積み重ねていつか自分がそうできる人間に。そう考えて、たくさんの失敗も力不足を痛感して落ち込むこともありつつも、今もこういう大人がいたらにまずは自分自身がなれるように積み重ねよう、と考えていることが生きる原動力になっていると言えるかもしれません。
まずは自分自身がそういう大人になろう。子どもの頃、母親がとあるキリスト教を頼りに生きていました。宗教が生活の中心にあることの怖さを体験したことは、また私の人生観に影響を与えたことのひとつなんですが、キリスト教の『人にしてほしいと思うことは人々にも・・・』というフレーズが小学生の時に頭に強く残っていて、それが私自身の『まずは自分からやってみよう』という行動指針、そして自分自身がまずはこういう大人がいたら、と思い描いた大人になって、悩んだり困っている子ども達に一歩踏み出すきっかけを届けられるか、やれることをやり続けていこうと考えるきっかけになったのは事実なので、キリスト教に出会ったことについては自分自身を経験を前向きに活用できたということにしようと捉えています。
最近色々な場所でこの経験や体験についてご意見を求められることが続きました。私自身も体験があるのだけど、ちょっと特異な生まれ育った環境の中で、僕に手を差し伸べてくれたり、そっと背中を押して励ましてくれた大人の方々に出会ったから、今の私がいる。だから、子どもの頃、自分達が困った時、悩んだ時、苦しい時、涙が止まらない時・・・色々な場面で温かく手を差し伸べたり背中を押したりしてもらったという出来事があると、きっとその子ども達が大人になった時に、また次の世代に同じように温かい大人になってくれる可能性が高まる。そう私自身は信じて、今は『塾』という場所を活用して日々子ども達、若者達、時には新たなチャレンジをしようとしている大人の方々をサポートしている、というのが現状です。
経験・体験って、ただどこかに行った、誰かに会ったということだけではなく、その経験や体験を生み出した目的や思いというものが、今まで気が付かなかった新しい気付き、そしてその気付きから自分がどうなりたい、どうしたいという次の前向きな未来を生み出す機会にできるかが大切だよなぁ、そんな風に思いつつ私自身はその機会を色々生み出していけたらと日々考え、実際に行動しているところです。
たまにほんとのコラムでした☆